年番号 歴   史
1946年4月 東京同盟(東京旅客自動車労働組合同盟)の結成 
東京がまだ焼野原だった第二次大戦直後、日本交通など4組合2,000人が結集し、生活と権利を守るトリデとして産声をあげました。
1947年9月 全旅労連(全国旅客自動車労働組合連合会)結成
東京が中核となって全国組織の結成大会(京都)を成功させました。
1952年 関東同盟(関東旅客自動車労働組合同盟)へ発展
1949年以来タクシーの新規免許によって、新しい組織も生まれ拡大しました。
1961年 全自交東京地連(全国自動車交通労働組合東京地方連合会)と名称変更
名実ともに自交労働者の結集への母体となる。
1974年11月 全自交労連第30回大会流会(山形)
一部幹部が「社会党一党支持」と「年度別賃金と称する賃下げスライド方針」を強引に持ち込み、大会は不成立、不幸な分裂状況となり、東京地連にも対立が持ち込まれました。
1976年10月 全自交全国共闘会議結成
全自交労連の統一回復と自交労働者の生活と権利を守るため結成しました。
1976年 ~1992年 ノースライド闘争で組織拡大
1. スライド賃金を認めた大手組合は、春闘で値上げ分を勝ち取れなかった。
2.運賃四原則の確立と幹部闘争から大衆闘争へ転換(請願法に基づく請願行動)。
3.各組合と東旅協による集団交渉で、相場を構築、各労使での闘いもあり、労働条件改善に寄与した。
4.専従者を中心とした集団指導体制など体制強化も図った。併せて幹部活動家の育成のために 学習の重視。
5.結果として、東京地連は9,000人(76年)から17,800人(85年)共闘含め22,500人へ拡大した。
1978年10月 自交総連結成
自交総連結成大会(大分・別府市民会館)にともない、自交総連東京地連へ名称を改めました。
1989年11月 全労連(全国労働組合総連合)結成
全労連の結成には自交総連も全力をあげました。
1993年~ 規制緩和闘争
93年運輸政策審議会(93答申)発表から規制緩和へ。
タクシー自由化に対して、反対闘争を展開。99年2月8日の朝日新聞夕刊トップ記事、その夜のニュースステーションが取り上げ世論に大きな影響を与えた。
2001年 ~ 規制緩和後の闘争
01年「タクシー運転免許構想」を確認し、タクシー運転免許実現大運動を開始。
05年12月、原告団20人、弁護団12人による「大口割引運賃取り消し処分」と損害賠償を求める国家賠償訴訟を展開。地裁、高裁、最高裁までたたかい、その後のタクシー政策に大きな影響を与えた。
2008年 ~ 現在 再規制に向けて
規制緩和反対闘争の結果、08年12月、交政審・ワーキンググループが答申をまとめ、09年6月に「特定地域タクシー事業の適正化及び活性化に関する法律」が成立。再規制に一歩踏み出す成果を上げた。
地域協議会による適正化が話し合われ、東京では約20%の減休車が実現。
適正な実車率実現に向けて奮闘中。